再会

まるで先週まで会っていたかのように
5年ぶりに再会したわけだが、これでも会うまでに色々と葛藤はあった。

というのは嘘で、驚くほどそんなものはなく、ただよかったと思った。

これがおかしなことなのか
そんなこともどうでもよく、ただ自然にそうだったのだから嬉しく思う。

1人去り、1人出会い、そして去り、また出会う。

奇妙でも運命的でもなんでもなく、ただ友達であり続けることができただけ、そう思う。

クロスオーバー

何か大事なものを失うっていうのはどういうことなのか。
例えば最大100数値の大事なものメーターが0になったら死ぬとしよう。
その人にとって90大事だったものが壊れてしまったら致命的になるので、
壊れてしまったら、また違うもので補充しないといけない。

そうしないと人は生きていけないのかもしれない。
そういう風にして幻のように一生がおわるのかもしれない。

写真

友人達や彼女なんかと出かけたり、そういう楽しい時間には写真を撮る。
そして後で見返して楽しかった思い出に浸る。
写真に写っているその時は確かに楽しかったはずだ。
たとえ、一緒に写っている人間が今はもういなくても
はたまた今は殺したいほど憎んでいても
その時は楽しかった
楽しかった時間を切り取って保存するために撮ったもので間違いない。

後からの感情によって、そのものが元々持っていた意味をあいまいにしたくない。
いつでも、そういう風に物事を見れる人になりたい。

現実

この5月は色々あった。
個人的に少しずついい流れに乗りつつあり、動き出していた矢先に仲の良い友人が自殺した。
おれは弱いから、色々高速で考えて、勝手に想像して、友達と話して、何となくでひと段落ついて、誰も悪くない、なにもできることはなかったと気持ち切り替えてやるべきことやっていってる。
でも全然切り替えれているのかわからん。やっぱあいつのことを考えない日はない。
誰かに泣き喚きながら叫びたい気もするけど、そんなことには何の意味もないし迷惑をかける。そんな相手もいない。

もしかしたらあいつもそんな気持ちやったのかもしれん。

とりあえずあいつが死んだせいにすることは何事も許されない。おれには。
ただ、もう飲みに行ったり楽しい時間を過ごすことできへんのが寂しい。ただそれだけの一対一の感情だけは持ち続けたい。